
子どもに対し、イライラして怒鳴ってしまいます【前編】[教えて!親野先生]
今週の相談:小学1年生の学習態度について

小学1年生の娘に対して、完璧を求めてしまいます。宿題のマル付けを毎日するので、子どもがどのくらい勉強を理解しているかよく見えます。それが、前に終わっているはずの内容がわかっていなかったりすると、とてもイライラしてつい怒鳴ってしまいます。そして、課題が終わったあとも徹底的に追加の問題を出し、それがわからないと気が済まなくなります。頭では「今日こそは怒らずに」「勉強が嫌いにならないように」と毎日思っているのですが……。この子なりのペースや個性があるのだと頭ではわかっていても、「他の子はすらすらできているんじゃないか」と思うときつくあたってしまいます。習い事でも、友達に追い越されるのが嫌で厳しく教えてしまいます。私自身の勝手なエゴであることも、子どもによくないことも頭ではわかっていても、こんな自分をどうコントロールしていいかわからず悩んでいます。(そら さん)
親野先生のアドバイス
そらさん、拝読いたしました。
「よくないとわかっているのに感情的に叱ってしまう」「今日こそ怒らないようにと思いつつ怒ってしまう」「頭ではわかっているのに自分をコントロールできない」
親のそういう声をたくさん聞きます。
「わかっているならやめればいいのに」という人もいるかもしれませんが、それがなかなかできないのです。
何度反省しても同じ過ちを繰り返してしまう、頭ではわかっているのに自分を変えられない、それが人間というものなのかもしれません。
実は、私も、クラス担任をしている時、長い間そういうことを繰り返していました。
クラスの子どもたちに対して、ささいなことでイライラして叱ったり、怒鳴ったりしていました。
子どもとの信頼関係の崩壊
ときどき反省して、もう二度としないと決意することもありました。
「もう叱ったり怒鳴ったりはやめよう」「こんなことをしていてはいいことは一つもない」などと、何度も同じ決意をしました。
でも、なかなか直りませんでした。
ある時は、「こうやって叱りつけることも子どものためになる」と、開き直ったこともありました。
「叱りつけても、そのあとでそれ以上にフォローすれば大丈夫だ」「その時は怒っても、あとで『あなたのために怒ったんだよ』と言ったり別のことでほめたりすればわかってもらえる」「子どもに嫌われても、厳しく鍛えてやったほうが子どものためだ」などと自分で理屈をつけていた時期もありました。
そして、またしばらくすると、やはり同じ反省をするのです。
叱って反省して怒鳴って反省して、何度同じことを繰り返したかわかりません。
本当に、何度同じことを繰り返したかわかりません。
でも、ある時、本当に心の底から反省させられることになりました。
5年生を受け持っていたある年、私は、クラスの子どもたちから完全にノーを突きつけられたのです。
その年も、私は叱ったり怒鳴ったり、そして、叱ったあとでフォローするためにほめたりなどということを繰り返していました。
すると、2学期の半ばくらいから、子どもたちはだんだん私の言うことを聞かなくなりました。
指示したことがとおらないのです。
それで、私は、「○○しないと□□だぞ」というように罰を与えて子どもを動かさざるを得なくなりました。
そうすると、ますます子どもたちは言うことを聞かなくなりました。
指示したことが何一つとおらなくなりました。
それどころか、こちらから何か話しかけて雑談しようとしても、それにも応じてくれません。
子どもたちからは、まったく冷たい反応しか返ってこなくなりました。
しかも、子どもたちは私と目を合わせないのです。
向かい合っても目をそらします。
もう、完全に心のきずながない状態です。
子どもたちとの間に信頼関係が一切ない状態で、人間関係の完全な崩壊です。
いくら子どもたちのためになることをしてやろうとしても、いくらいいことを教えてやろうとしても、いくら正しいことを言い聞かせようとしても、子どもたちはまったく受けつけてくれません。
私は、子どもたちと教室にいるだけで苦しいという状態でした。
こうなると、もう、毎日学校に行くのがつらくてつらくてたまりませんでした。
毎朝校門のところまで来る度に、「このまま車でどこかに行ってしまいたい」と思っていました。
5年生が終わって6年生になる時、私はそのクラスを持ち上がりで引き続き担任することになりました。
もうやっていく自信はまったくありませんでしたので、本当は持ち上がりはやめたかったのです。
でも、他の二つのクラスが持ち上がるのに、自分だけ持ち上がらないのは悔しいという愚かな思い込みがあったのです。
それと、「この子どもたちとこのまま終わりたくない。もう1年で信頼関係を取り戻したい」という気持ちもありました。
それで、持ち上がることになりました。
でも、体育館で行われた始業式の担任発表の時、子どもたちから改めてノーを突きつけられたのです。
他の二つのクラスは、持ち上がりとわかった時に子どもたちから喜びの大歓声が沸き上がりました。
それに引き替え、私のクラスの子どもたちからは、非常に冷たい反応が返ってきました。
誰一人喜ぶ子はいませんでした。
担任発表が終わって、私がクラスの子どもたちの前に立った時、子どもたちはみんなうつむいていました。
誰一人、私の顔を見てくれる子はいませんでした。
私と子どもたちの双方が、深い絶望に包まれていました。
その時もつらかったですが、そのあとの1年間の長くてつらい日々は言葉で言い表せないくらいのものでした。
そして、結局そのあとの1年間で子どもたちとの信頼関係を取り戻すことはできなかったのです。
それどころか、さらにその溝は深まるばかりでした。
自己反省と気づき
一度壊れた信頼関係を取り戻すのがいかに難しいことか、それを身をもって知りました。
でも、この苦しい日々の中で、私は本当に心の底から反省しました。
勝手に子どもたちにいろいろなものを求め、「こうしなさい」「ああしなさい」と要求し続け、できないといってイライラして叱りつけ、こんなことを平気でし続けていた自分。
自分でも気付かないうちに、子どもたちをあなどりなめきっていた自分。
先生と子どもという力関係に甘えきっていた自分。
子どもたちから完全にノーを突きつけられて、初めて私は心から反省しました。
変化への道
自分がやってきたことの結果をまざまざと見せつけられて、初めて私は心から反省しました。信頼関係がない状態で、人間関係が崩壊した中で生活することがどんなにつらいことか。
一度壊れた信頼関係を取り戻すのが、どれだけ難しいことか。
信頼関係がないところで何かを教えたり諭したりすることが、どれだけ難しいことか。
相手に対してしたことは必ず自分に返ってくる。
相手を遇した同じやり方で自分が遇される。
相手をあなどれば自分があなどられる。
相手を攻撃すれば自分が攻撃される。
相手を尊重すれば自分が尊重される。
相手を尊敬すれば自分が尊敬される。
自分がしたことは必ず自分に返ってくる。
こういうことが、身にしみてわかったのです。
それまでのわかり方は、頭だけの理解でした。
でも、この時のわかり方は心からの理解でした。
それで初めて、自分を変えることができたのです。
それからは、イライラして叱りつけたり怒鳴ったりなどということは、一切しなくなりました。
というより、できなくなったのです。
その行為のもたらす結果がどのようなものか、それがはっきりわかったからできないのです。
もちろん、イライラすることはあります。
子どもを相手にしていて、イライラしない人がいるでしょうか?
でも、心の中でイライラしても、それが叱りつけたり怒鳴ったりという行為に至ることはなくなりました。
イライラしている自分に客観的に気付くようにつとめた、ということもあります。
「自分は今イライラしているな」と気付いていると、不思議なことにそれだけで冷静になれるのです。
そして、子どもから離れてお茶を飲んだり深呼吸したりするのです。
それができない時は、呼吸を意識して、吸う息と吐く息を3倍の長さにするのです。
これは、かなり効き目があります。
というのも、イライラしている時は呼吸が短く浅くなっているからです。
このようにして、イライラを子どもにぶつけないようにしていました。
それでも、ある時2年生の子に「あの時、先生は顔はにこにこしていたけど目が怒っていた」と言われてしまったこともありますが。
子どもは本当に鋭いです。

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