学校は人生を豊かにするツール【椎名先生の「不登校ライフ」カウンセリングルーム #7】
椎名 雄一先生(一般社団法人日本心理療法協会代表理事)による、不登校のお子さまの保護者のかたより寄せられたお悩みにズバリお答えいただく『椎名先生の「不登校ライフ」カウンセリングルーム』。不登校のお子さまをサポートするうえで家庭と学校が協力し合うことは大切です。一方で椎名先生からは、その前に見落としているとても大切な問いについてお話いただきました。
この記事のポイント
再登校のためにあらゆる対策をしたのに動かない子ども。「万策尽きた」と悩む保護者からの相談
保護者からのご質問
子どもが学校に復帰できるように家でもできる限りの工夫をしています。私も仕事が忙しいなかで送迎をし、学校の先生とも連携をして個別の対応も検討してくれているのに、肝心の我が子が学校に行きません。もう万策尽きた感じです。どうしたら良いでしょうか?
(ご質問は過去に椎名先生に届いた内容を要約したものです)
椎名先生回答
「早く学校に通えるようになって欲しい」。そう考えて、保護者のかたはできるだけ再登校へのハードルが下がるように手伝ったり、家庭だけでなく外部へも連携を依頼して配慮してもらったりしている。それらを限界までやっても、お子さんが動かないのはなぜでしょうか?これは、お子さんが不登校になると遭遇する根本的な問いのひとつです。
では、ここで別の視点からこの状況を考えてみましょう。
ある小さなケーキ屋さんがありました。経営を成り立たせるためにできる努力は精一杯やっています。値段を限界まで下げ、持ち帰りやすい特注の箱を用意し、自宅配達まで始めた──考えられる対応は万全です。それにも関わらずお客さんが来ないとしたら、「一体どうして?」と首をかしげてしまうはずです。
客観的に見て、まず思うのは「いや、その前にケーキの魅力はどうなの?」ということではないでしょうか。
値段やサービスは、そもそも売り物であるケーキに魅力があってこそ意味を持ちます。売るための努力ばかりが先行して、売り物そのもの=「ケーキの魅力」を置き去りにしてしまっていないか。この視点から冒頭のお悩みについて考えてみます。
保護者のかたがどれだけ登校支援や環境調整に尽力しても、子どもが「そこに行く意味」を感じられなければ動かない、と考えることができれば、真の問題点について理解がしやすくなるものです。
大人でも「意味のない移動」はしたくないもの。学校に行くメリットは?
話を戻すと、お子さんはいま不登校の状態にあります。そもそも「学校に行く理由」が感じられないのに、そのハードルを下げたところで行きたくなるわけではありません。実際、別室登校などを「イヤイヤ」続けても、「また行きたい」や「別室登校してよかった」とはなかなか感じられないと話す子は少なくありません。
誰でも意味を感じられない移動は苦痛です。2、3回は「やらなくてはいけない」という気持ちで頑張ることがあっても、我慢して通っている間はどんどん疲弊していきます。
「学校に行くこと」のメリットとは、ざっと考えてみても「学歴による恩恵」「人間関係」「知識の幅が広がる」「集団行動に馴染める」「人生の選択肢が増える」など他にもいろいろなことがあるかと思います。
それでは不登校の状態のお子さんが実感できるものが、これらのなかにあるかどうか考えてみましょう。
「人生を始める」とは、出来事の連続に飛び込むこと
仮にいま、お子さんが学校に行かずSNSで交流したり、ゲームやアニメを楽しんでいて「この状態は快適だ」と感じているとしたら、先に挙げた「学歴の恩恵」「人間関係」「人生の選択肢」といった学校のメリットは、なんらピンと来ていない可能性が高いのです。
そして、ピンと来ないお子さんには共通点があります。それは「人生を始めていないこと」です。
「人生を始めている」とは、自分が主体的になにかに関わって、その場で起きることにごく自然と反応するような状態のことです。自らの意思で参加していると、その過程では「この道具があったほうがいいな」とか「背景の事情を知っておきたいな」などと自然に思えて、ツールをそろえたり練習したり、関連する本や映画に触れてみたくなります。部活動でスタメンを目指す人は、苦手なプレーを克服するために自主練をしたり、トレーニング用の動画を観たりするでしょうし、良いシューズを買うためにおこづかいを貯めよう、と自然に心が動いていきます。
人生を始めていると、「これを知っておきたい」と思って自主的に学ぶことが増えますし、字がうまく書けないことや敬語が使えないことに恥ずかしさを覚えれば、それを改善しようと考える場面も出てきます。冠婚葬祭で毛筆が上手に書けなかった経験から「書道を習おうかな」と一瞬でも思うことや、周囲の会話で興味が湧いて映画や展示を見に行くことも、心が動いているからです。
つまり「人生を始める」とは、そうした出来事の連続に自ら飛び込み、そこで生まれる必要や興味に応えていくことなのです。
学校とは「人生を豊かにするツール」という考え方
人生が始まっていないと、「学びたい」「友だちがほしい」「将来に備えたい」「あの組織に入りたい」といった自然な欲求は湧いてきません。
では、その「人生を始める」きっかけは、保護者からの「学校に行きなさい」「送迎するから」「朝起きられるの?」といったやり取りから生まれるでしょうか。
たしかに、まれに保健室の先生への憧れなどをきっかけに動き出す子もいますが、多くの場合、いわゆる「登校刺激」や不登校対策の中には、子どもの心を動かす魅力的な人生のテーマが含まれていないことが少なくありません。
一方で、偶然の出会いや体験から人生が動き出すこともあります。ミュージシャンと知り合って作曲に夢中になった子、北海道の大自然を体感してその生き方を選んだ子、大規模なハンドメイド展への参加がきっかけで進む道が見えた子、旅先での心遣いに触れて観光業に興味を持った子――そんなケースがこれまでにもありました。
大切な考えかたは、学校とは人生を豊かにするための「ツール」であるということです。やりたい人生が見えておらず、待合室でゲームをしているような状態では、そのツールが必要とは思わないかもしれません。
人生の選択肢が多様な時代を生きる子どものために
保護者の皆さんも思い当たるかもしれませんが、私たち昭和世代は進路の選択肢も少なく、だいたいみんな同じような人生を選択していました。しかし、お子さんの生きている現在は、多様性の社会です。
「あなたの進路はどうするの?」と、お子さんに自分で決めさせるのであれば、選択するための素材をできるだけたくさん見せてあげることは、保護者の役割といえます。そして、見えた人生の方向性にあわせて、「学校を(ツールとして)活用していく」という主体的な関わり方をする大切さが理解できるようになっていきます。
不登校のメリットのひとつに「教室からいったん離れて、自分なりの学校の活用方法を考える時間があること」というものがあります。教室にいて、毎日の課題に追われていたら考えることができない「学校をどのように活用するか」という問いに向き合ってから、学校を見るとさまざまな景色が違って見えてくるのです。
大事なことなので繰り返しますが「学校は人生を豊かにするためのツール」です。
子どもが「人生を始める」ためにどんなきっかけをつくれるか
「学校へ戻す」ことを最優先にするよりも、まずは「人生を始める」を、小さな要素に分けてひとつずつ働きかけることをおすすめします。
たとえば要素としては「興味を引く出会い」「短い挑戦や体験」「達成感が得られる小さな目標」「誰かと関わる機会」「その経験を振り返ること」などが挙げられます。これらのどれかに触れられる場を少しずつ増やし、短期のプロジェクトやワークショップ、一回だけの体験、同じ趣味の人とのつながりづくりなどで「面白そう」「もう一度やってみたい」と感じる機会を作っていきましょう。
そうした小さな変化のなかで「このためには学校が役に立つ」と実感できたなら、学校をツールとして使っていけばいいわけです。お子さんにとって無理のない段階を踏み、保護者の方も休息を取りつつ、小さな前進を一緒に喜んであげてください。
